てぃーだブログ › サンサンと太陽が輝る島に。

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Posted by TI-DA at

2007年07月29日

沖縄へ行こう

わたしが沖縄にはまったのは2000年。琉球サミットのあった年
わたしはその時に、沖縄に詳しい友人から沖縄の事をたくさん聴いた
沖縄って何て魅力的で個性的な文化に溢れている島なんだろう・・・
わたしもいつか住んでみたい・・・でもどうやって?
沖縄に住むにはお金もいるし、家を借りるには保証人が必要
簡単に引っ越しできる準備や知識など整ってなかった・・・
でも、きっといつか住んでみたい・・・
住んでみたいと言うより、住まないといけない気がする・・・
だって、まるで沖縄がわたしを呼んでいるみたいだから・・・
本当に、わたしを沖縄が呼んでいるみたいだったから・・・
こんなにもどうしようもなく惹かれて惹かれて仕方のない島・・・
何でわたしはこんなにも沖縄に惹かれるのかな?
沖縄の魅力にとりつかれてとりつかれて・・・いてもたっても
沖縄の事を考えている  沖縄病  になったのに時間は掛からなかった
わたしはその時から徹底的に暇さえあれば沖縄の事を調べて調べて
調べつくす言う一日中沖縄の事を考えて考えてますます
沖縄の魅力にどんどん浸かって行った。
中でも衝撃的だったのは  沖縄方言  だった
ここは同じ日本なんだろうか?こんな言葉が実際に使われているんだろうか・・・
文化も衝撃的だった。特にエイサー
シーサーぐらいは知っていたけど、こんなに面白そうなお祭りがあるなんて・・・
一度でいいから見てみたい
そうだ!沖縄に旅行で行って、生の沖縄を確かめて来よう。
とりあえず、10日間。それでわたしが沖縄に本当に住めるかどうか確かめよう  


Posted by みかんちゃん at 05:43移住前

2007年07月29日

10日間の沖縄滞在

10日間の沖縄滞在を決めて、わたしは一人、那覇に降り立った
わたしは、今、沖縄にいるんだな・・・あこがれてあこがれて仕方のない、あの島に・・・
車のナンバーが 沖縄 って表示されている・・・バスの行く先が沖縄の地名が書かれている・・・
それだけで本当にわたしは今、沖縄にいるんだ・・・嬉しくて嬉しくて、たった、それだけで感動していた
そのぐらい、沖縄に憧れていた期間が長かったから・・・
とりあえず、沖縄そばを食べた。三枚肉がおいしくて、こんなにおいしいそばがあったなんて・・・
わたしは沖縄そばを食べながらこれから何が始まるのかわくわくした気持ちを抑える事が出来なかった
実はわたしが沖縄に初めて行ったのは、1996年だった
その時は沖縄に独特の文化がある事すら知らず、ただ、エメラルドグリーンの海がある事ぐらいしか
知らなかった。5日間の旅行だったけど、単に海や国際通りをうろうろして公設市場にも行かず
首里城にも行かず、壺屋やちむん通りにも行かず・・・沖縄料理も沖縄そばも食べず・・・
ただ適当に玉泉洞ぐらいしか行かなかった
だからあの時の沖縄旅行は沖縄の事を知り尽くせるはずもなく、無知なわたしだった
でも、今回は違う。沖縄の事を徹底的に調べ尽くしてきたから・・・  


Posted by みかんちゃん at 07:39移住前

2007年07月29日

読谷やちむんの里

沖縄に降り立って真っ先に行ったのは 読谷やちむんの里 だった
わたしが沖縄の文化の中でも最も惹かれたもの・・・それは 陶芸 だった
だからここだけはどうしても絶対に行かないといけない気がしていた
行かずにはいられなかった。初めて読谷のあの陶芸の窯を見た時、
感動してしばらく立ちつくしてしまった・・・
これが沖縄の文化の象徴である赤瓦の屋根の窯・・・
わたしはしばらくただぼんやりとあの陶芸の窯を眺めていて、惹かれずに惹かれずに
何かを感じずにはいられなかった
ただ一人、夢中でその場に立ちつくしてぼーぜんとなって魅とれていた・・・
やちむんの里に売っている売店も雑貨好きのわたしの心をとりこにした
色鮮やかで斬新な数々の陶器・・・シーサー・・・あちこちにわたしの心をとりこにする何かがあった
わたしはもう、夢中になって陶器を物色した。わたしもいつかこういう物を作る人になりたいな・・・
こういう物を作れる人になれるのなんて何年も何年も修行しないと無理だろうし
簡単に雇ってもらえるはずはない・・・夢の中の夢だろうと想っていた
自分には絶対に叶えられそうもない夢だろうと想っていた
同行していた友人に語った。「もし、わたしがこういう陶器を作る人になったら
絶対出世するからね・・・」って・・・冗談混じりに語った
陶工見習いの厳しい現実など知るはずもなく、ただ軽い気持ちで夢を語っていた・・・  


Posted by みかんちゃん at 07:54文化

2007年07月29日

壺屋やちむんの里

次に行ったのは 壺屋やちむんの里 だった
あちこちに風情ただよう街並み・・・数々のお土産屋 
わたしはもう、惹かれて惹かれて仕方なくて、一軒一軒の店を物色して
いいないいな、こういう物を作っている人ってほんとうにいいな・・・うらやましいな・・・
わたしも作ってみたい・・・何があっても作ってみたい・・・だって面白そうなんだもん・・・
南ぬ窯を初めて見た時の衝撃は忘れられない・・・神々が宿っているかのような雰囲気・・・
わたしは沖縄に滞在して、一体何度その場に立ちつくしてしまっただろう・・・
   南ぬ窯 がじゅまるの樹に 光指し・・・
南ぬ窯とがじゅまるの樹にほんとうにきじむなーが住んでいるみたい・・・
ゆっくりとたたずんで、きじむなーがひょっこりとその辺りから出てくる気がした・・・
友達が教えてくれた。がじゅまるの樹には、きじむなーが住んでいるんだよ・・・
きじむなーは本当にいるんだよ・・・
わたしもほんとうにきじむなーがいる気がしていた
輝く太陽の光そそぐ島・・・燦々と照りつける光の中のがじゅまるの樹・・・
そしてその中にひっそりとたたずむ喫茶店 その喫茶店の中でわたしは
シークワーサージュースを注文した。 はちみつの甘い味とシークワーサーのすっぱさ・・・
おいしいな、ほんとうにおいしいな、こんな所に本当に住めたらわたしはどれだけ幸せだろう・・・
その時わたしはまだ、住むのと観光では天と地ほどの違いがある事を分かってるはずもなかった
沖縄に知り合いなんていない・・・たった一人、沖縄に住むという現実がどういう事なのか・・・
それを全く分かっていなくて、ただ、ここに住めたら幸せになれるような気がする・・・
そんな甘い甘い考え・・・でも一体どうやって住むのと観光では全く違うという事をわかろうか
無知で当たり前・・・無知だからこそ夢や希望があった
その時は、ほんとうに軽い気持ちだった。まさかそのたったの2年後に、本格的に移住するなど
その時は全く考えもしなかった・・・  


Posted by みかんちゃん at 08:24文化

2007年07月29日

国際通り

次に向かったのは国際通りだった 1996年に沖縄旅行に行った時の
国際通りの印象とは全く違った 1996年の国際通りは、2000年の国際通りより
もっとずっとずっと活気があった あちこちに呼び込みをして何とか物を買わせようとする
その時は正直、沖縄の人って何でこんなにお金を得る努力に必死なんだろう・・・
ちょっと店の前を歩いただけで何とかして買わせようとする・・・
それはそれでとてもいい事だけど
ゆっくりと見学したいわたしにはちょっとわずらわしいと感じた
でも、もう物珍しさでいっぱいだった。パイナップルのお菓子、星の砂、ちんすこう・・・
何もかもが新鮮で斬新で目新しく、わたしはそれだけで満足だった
その時点では、まだシーサーにそれほど惹かれていなかった
ただ単に、珍しいお菓子を中心に物色して買いあさった
2000年の国際通りは違った
呼び込みをする人は相変わらずいるけれど
必死で無理矢理ものを買わせようとする人がいなかった
わたしはゆっくりとシーサーや陶器、うーじ染め、紅型・・・そういった沖縄文化を感じる事の出来る
民芸品を鑑賞してゆっくりと買い物を楽しめる事が出来た
お土産屋の中で一番うれしかったのは絵葉書
特に竹富島の絵葉書なんて、竹富島や八重山に行かないと手に入らないと想っていたのに
売っている店が一軒だけあってうれしくてうれしくて
珍しい物好きのわたしにはたまらない場所だった
人が以前に比べて少なくなっている気がする・・・だんだんと活気がなくなっている気がする・・・
でもそれでも、人が少なくなっても  文化  はもっとずっと進歩している気がした  


Posted by みかんちゃん at 09:10名所

2007年07月29日

琉球村

次は琉球村に行った 
わたしはその時、生まれて初めて エイサー を見た
初めてエイサーを見た時の感動は忘れられない 
太鼓の音と共に踊る若い青年・・・たった3人のエイサーだった
わたしは感動してしばらくその場に立ちつくして言葉にならなかった
わたしは何でこんなにも沖縄に惹かれるんだろう・・・
エイサーは集団で踊るものなんだよ・・・友達が言った
たったの3人で踊るエイサーなんてエイサーを見た事にはならない・・・
そう言われたけど、それでも目を離せずにはいれらない・・・
ずっともっとエイサーを見てみたい・・・沖縄文化を肌で感じてみたい・・・
琉球村には赤瓦の屋根に乗っかったシーサーもたくさんあった
これがシーサーか・・・シーサーを見ながらいろいろな事を想った・・・
その時、少しずつ少しずつ、わたしの本格的に沖縄に住むという目標が固まってきた・・・
わたしは本当に無知だった 沖縄の事を何も知らなかった
ただ単に沖縄に住めれば幸せになれるような気がしていた
だって沖縄には、エメラルドグリーンのきれいなきれいな海があるから・・・
たったそれだけだった だって人はみんな暖かいじゃない・・・
幸せになれないわけがない・・・そう想った・・・甘かった・・・
でも本格的に住む前にもっともっと沖縄の事を知ってからにしよう・・・そう決めて
わたしは1週間の沖縄旅行から帰った直後、もっと沖縄の事を調べて
2ヶ月の沖縄滞在を決意した  


Posted by みかんちゃん at 09:24文化

2007年07月29日

2ヶ月の沖縄滞在

とりあえず、目標も何もなかった それではいけない気がしていたけど
本当にここに住んでいいものか自分の目で確かめよう・・・
本で読んだ知識や友達に聞いた情報ではなくて、自分の目で見た沖縄が
本当にどういう所なのか・・・それを知る必要があると想った
沖縄に住むという事は、いろいろなものを失わないといけない・・・
お金もかかる、仕事も辞めないといけない、一から仕事を探すのは至難の技・・・
沖縄が日本一の就職難だと言う事は本で読んで分かっていた
でもそれでもどうしても、わたしは住まないといけない・・・
だって、沖縄がわたしを呼んでいるから・・・本当にそんな気がしていた・・・
わたしはどうしてこんなにも沖縄に惹かれるんだろうか・・・
甘い考えと厳しい現実、それを確かめたかった
2ヶ月、沖縄に滞在する為に、格安の民宿を探した 一泊2000円だった
部屋は相部屋で、二人部屋だったけど、日によっては一人で6畳の部屋を使える日もある
建物は古いけどすごくきれいに清掃している民宿だった
その民宿では毎日宴会をしていた わたしはそこでたくさんの、わたしと同じ
沖縄病にとりつかれている人達に出会って、いろいろな話をした
一泊2000円の宿だけど、わたしが長期滞在だと話すと一泊1500円にしてくれた
ご飯は朝昼兼用で、500円のご飯を食べていた
夕食は、民宿で宴会の時に出るおつまみを夕食代わりにして、つまり、一日2000円で
沖縄滞在をしていた 一日2000円でも、これから沖縄に移住しようとする
わたしにとってはきつい金額だった でも、今思えばこれだけ格安で沖縄に住めるなんてありえない  


Posted by みかんちゃん at 09:40移住前

2007年07月29日

シーサーに惹かれて

わたしは毎日毎日街をうろうろしていた 長期滞在なので
ほしいなと想う民芸品があっても買わなかった ただひたすら毎日毎日
壺屋やちむん通りや国際通りを歩いて、陶芸っていいな、いいな、本当に楽しそう
シーサーっていいな、いいな、何て個性的で魅力があって面白いんだろう・・・
少しずつ、少しずつ、夢がふくらんで来た・・・
わたしはただ毎日、ひたすら街歩きを繰り返していた・・・
そのぐらい、沖縄の文化やシーサーに興味があったから ぜんぜん飽きなかった
今、自分が沖縄にいる事が不思議で不思議でならなかった 
きっとこの事は、わたしにとって、すごくかけがいのない想い出になるだろう・・・
漠然としながらそう想っていた・・・
もしこの時、一日体験シーサー教室がある事を知っていれば、わたしは真っ先に
行っていただろう でも知らなかった だからただひたすら店頭に飾っているシーサーを
眺める日々だった まさかその時、そのほんの数年後にシーサー教室の講師をする事に
なろうとは予測もしなかった
この時のわたしは、どのシーサーが中国製なのか沖縄製なのか見分ける事すら出来ない
全くの無知、見る目など全くない、一度もシーサーを作った事のない・・・
でもただひたすらわたしはシーサーが好きで好きで・・・なぜこんなにも惹かれるのか
分からないけど、壺屋やちむん通りの南ぬ釜で時折たたずんでは、夢をふくらませていた・・・  


Posted by みかんちゃん at 09:53移住前

2007年07月29日

辛い沖縄滞在

仕事もせずに2ヶ月も沖縄に住んでいたと言うと、さぞかし楽しかったのだろうと
想われるだろう。バカンスを楽しんでいたんだろうと想われるだろう
でも現実はそんなに甘くない
2ヶ月の沖縄滞在期間、正直言って、辛くて辛くて仕方なかった
だってわたしは人見知りするから。毎日民宿で知らない人と話をしないといけないのは苦痛だった 
最初はよかった。ただひたすら新鮮で斬新で目新しくて・・・
でもだんだんと飽きてきた。もう帰ろうかな・・・何度そう想った事だろう・・・
でも、今、帰ったらいけない気がしていた。ただ人見知りするからという
理由で民宿にいたくない・・・そんな甘い気持ちで一体どうやって移住が出来るのだろうか
これに耐えないといけない気がしていた
人見知りもいい加減直さないといけないと想っていた
わたしは沖縄移住への準備と同時に、人見知りを直そうとした
毎日毎日知らない人と同じ部屋に泊まる・・・わたし以外のみんなはいいな・・・楽しそうで・・・
民宿の奥さんとそのヘルパーさんとはすごく仲良くなれる事が出来た
あの時、あの奥さんがいなかったら、わたしはもうとっくに沖縄滞在をあきらめて
実家に帰っていた事だろう・・・毎日毎日知らない人と関わる事に慣れていないけど
頑張ってなるべくいろいろな人と話をするように努めた
お金がない時は、近くのパン屋が無料でパンのミミをくれるというので、
それを食べていたりした。働こうかとも想った
でも、働いて沖縄滞在をつぶすのはもったいない気がしていたし、
ただでさえ就職難の沖縄なのにそう簡単雇ってもらえるとは想っていなかった  


Posted by みかんちゃん at 10:17移住前

2007年07月29日

実家に帰る

沖縄に滞在して、2ヶ月が過ぎた。もう、実家に帰る時が来た
その頃には、民芸屋の人と仲良くなったり、顔見知りが増えていた
もう、これ以上、沖縄の事は調べられない・・・あとはわたしの決意のみ
でも、わたしはもう、沖縄に疲れ切っていた 
住むのと旅行では全然違うという現実を身にしみて感じていた
沖縄移住はあきらめて、また実家に戻って昔の仕事と同じ関係の仕事に復帰した
事務の仕事だったけど、わたしはその新しい職場で沖縄の事ばかり話した
家でも相変わらず沖縄の事を調べる毎日・・・
事務の仕事は、わたしが学校を卒業して以来、ずっと続けていた事だった
でも、どの職場でも自分が通用するという自信まではなかった その自信を得たかった
だから派遣社員として働いて、3カ所いろいろな職場に行った
2ヶ月の沖縄滞在から2年弱が過ぎようとしていた・・・
3カ所目の職場のノルマは厳しかったけど、なんとかやり遂げる事が出来た
もう、事務の仕事に未練はない・・・そう想った  
その時、再度、沖縄に旅行に行った。今回は3泊4日の旅行だった
わたしは沖縄に慣れているはずなのに・・・もう、沖縄の事は知っているはずなのに・・・
それでも久し振りの沖縄はいろいろな事が目新しくて斬新で新鮮で・・・
わたしはまた沖縄の何もかもに感動せずにはいられなかった
海に行った・・・海中道路・・・エメラルドグリーンの海
読谷にも行った 渡嘉敷島にも行った シュノーケルやダイビングをして楽しんだ
今回は短期滞在なので、ありとあらゆる民芸品を買いあさった
わたしが2ヶ月沖縄滞在していた時に比べて、民芸品の質がすごく向上している気がしていた  


Posted by みかんちゃん at 10:39移住前

2007年07月29日

ライブに行って

旅行中、沖縄で一番有名な歌手のライブに行った
わたしはその人を初めて見た時、光り輝くオーラを感じた
これが憧れのあの人・・・こんなに間近で逢えるなんて・・・
嬉しくて嬉しくて、歌に感動して、ステージに感動して・・・
ライブでは、わたしも一緒にカチャーシーを踊る事を求められたけど
わたしはどうしても踊る気になれなかった。 一緒になって踊りたくなかった
ただ、その歌に感動してその場に立ちつくすのに精一杯だった
ライブの後、サイン会があった。わたしはさっそく本やCDや絵葉書を買って
サインと握手を求めた。他にもいろいろほしいものないかな・・・と想って
図々しくも3回も並んでサインを書いてもらった
3回も並んだらさすがにまた来たな・・・って想われたのだろうか・・・
一回目と2回目は、名前だけのサインを描いてもらえたけど、3回目に並んだ時
わたしは最後に残った客だった。だからその人からメッセージを本に書いてもらった
嬉しくて嬉しくて・・・こんなに有名な憧れの人がこんなに身近にいてくれるなんて・・・
そしたら思いがけない事が起きた。その歌手から 「上で飲んでいるからよかったらおいでよ 」と
わたしは思いがけない展開にびっくりして、民宿の門限があったけどそんな事はもう
関係ない・・・民宿の奥さんには悪いけど・・・と思って上の階の飲み屋に行った
わたしは緊張してほとんど話す事が出来なくて、どこから来たの?と聞かれて
出身地を答えるのに精一杯だった。そしてこの歌が好きなんです、と言った
もっといろいろと話をしたかった。でも、その時のわたしはこの歌手とまともに話を
してはいけない気がしていた。こんなに大らかですごい人がいたんだな・・・
いつかきっと、この人と対等に話が出来る自分になりたい・・・そう想っていた・・・
それがわたしの新たな目標になった・・・  


Posted by みかんちゃん at 10:59文化

2007年07月29日

沖縄旅行から帰って・・・

沖縄旅行から帰る途中、あの歌手の本を飛行機の中で読んでいた
わたしはなぜか、涙が出て止まらなかった・・・
具体的に何をどう感動したのか・・・とにかく何かを感じた・・・
同じ感覚を持っていると感じたのだろうか・・・そうじゃないのだろうか・・・
それは分からない。でもわたしは涙が出て止まらなかった
そしてわたしは少しずつ少しずつ飛行機の中で決意を固めた
実家に到着した。相変わらず事務の仕事は平凡だった
わたしはその職場で沖縄旅行の話とあの歌手の話をしゃべりまくった
しゃべらずにはいられなかった。わたしがどれだけ感動したのか、
わたしがどれだけあの歌手に惚れ込んだのか・・・
そして、決意した・・・
もう、何かあっても沖縄に住もう。今行かないと一生後悔する
一生後悔するぐらいならどんなに厳しい辛い事があっても耐えられる
今、行かないといけない。沖縄がわたしを呼んでいる・・・そんな気さえした
仕事中も、沖縄の事しか考えていなかった。そんなわたしにとって
もう、事務の仕事を続けるのは不可能だった
沖縄旅行から帰ってから3日後に、両親に、わたし、沖縄に住むから、と報告した
誰にも相談する気持ちはなかった もう自分の決意は決まっていた
それだけの準備は整っていた。一定期間仕事がなくても困らない程度の貯金
住む上の知識・・・理想と現実では違うという事・・・ぜんぶ分かっていた
その上で、何があってももう、どうしても行かずにはいられなかった
そう決意して、そしてますますいろいろな事を徹底的に調べに調べつくして
そして2002年11月、わたしは沖縄に引っ越しした  


Posted by みかんちゃん at 11:50移住前

2007年07月29日

引っ越しした陽

わたしは11月に那覇空港に降り立った
わたしの実家は寒くて寒くてセーターを何枚も重ねる必要があったけど
那覇は違った。半袖で充分だった
同じ日本なのにこんなにも違うんだな・・・わたしは分厚いセーターを着て
那覇空港を歩いていた。もう、帰る日にちを考えなくてもいいんだ・・・
他の人は長くても一週間ぐらいの滞在だろうな・・・わたしは一体どれだけ
この場所にいる事が出来るんだろう・・・そう、一人勝手に にやにやしていた
嬉しくて嬉しくて・・・希望があった。夢があった。目標があった・・・
その目標とは・・・陶芸だった
わたしが初めて読谷やちむんの里に行って以来・・・壺屋やちむん通りに行って以来・・・
ずっとずっと心に引っかかって離れなかった事・・・陶芸・・・シーサー造り・・・
那覇空港から、真っ先に不動産屋に行って部屋の鍵をもらって来た
その不動産屋のテレビでは、沖縄の原風景と共に、ビギンの「島んちゅの宝」が流れていた
この時初めてわたしはこの曲を聴いた。沖縄の原風景と共に流れるビギンの歌は
わたしの心をとりこにせずにはいられなかった
そしてその数日後、わたしが感動したあの歌手の無料ライブを農連市場で見る事が出来た
びっくりした。こんな有名な人が無料でライブをやってくれるなんて・・・
子ども達の集団のエイサーもしていた。日出克の曲がエイサーと共に流れていた
こんないい所に今から住めるんだな・・・感動して涙が止まらなかった
嬉しくて感動していたのか、文化が素晴らしくて感動していたのか・・・
よく分からない。でも、ただ、一つ言える事はわたしがどうしようもなく
沖縄が好きだ、という事だった  


Posted by みかんちゃん at 12:08文化

2007年07月29日

陶芸の仕事を・・・

生まれて初めての一人暮らしだった わたしはうきうきしていた
でも、それははじめのうちだけだった
ホームシックは、3日後、3週間後、3ヶ月後に来ると言うけど
わたしはその通り、3日後にあっさりとホームシックにかかってしまい
一人で何もないがらんとした部屋にいるのが辛くて仕方なくなってしまった
まだ民宿に泊まっている時はいろいろな人と話をする事が出来た
でも、今回は違う。これがいつまで続くのかな・・・そんな不安を抱えていた
とりあえず、陶芸の仕事を見つけよう。陶芸に関われたら雑用でも何でもいい
何があっても何がなんでも陶芸の仕事を見つけよう・・・
でも、少し落ちついて身の回りの事を済ませてからにしようと思っていた
そう簡単に見つかるとは思っていなかった でも、すぐに張り紙を見つけた
しかも自宅からすぐ近くの場所に・・・
雇ってもらえるとは思っていなかったけど、ここだ!って思って
さっそくその日に何も持たずに面接に行った
履歴書を持ってきてって言われたので、次の日持って行ったらその場で採用された
わたしが今までいろいろと考えて陶芸の工房で働けるなんて夢のまた夢だと思っていた事は
一体なんだったのか・・・そう想った
まるで、それが運命だったかのように・・・家も仕事も・・・
こんなに物事がうまく行ってもいいのかな・・・何でこんなにも簡単に何もかも見つかるんだろう
12月からわたしはその工房で働ける事に決まった
12月になるまでわたしは暇だった。どうやって時間をつぶしたらいいのか分からないから
早く12月にならないかな・・・その間、わたしはホームシックとの戦いだった
見知らぬ土地にたった一人足を踏み入れて不安にならない程、わたしは強くなかった
今、何か困った事があっても誰も助けてくれる人なんていない・・・
その不安がわたしに追い打ちをかけた。これが沖縄の現実なんだな・・・そう思っていた  


Posted by みかんちゃん at 12:25文化

2007年07月29日

陶芸の工房に入って

12月になった。わたしは陶芸の工房でシーサー担当に回された
先生が早い人で一ヶ月で売り物になる、遅い人でも3ヶ月で売り物になるというので
びっくりした。今思えば、それは目標を持たせる為に言われたのかもしれない
この時、わたしがロクロではなくて、シーサー担当になったのは運命だった
雑用しかさせてもらえないのかと思っていたけれどさっそくシーサー造りを
教えてもらう事が出来た事は幸運だったとしか言いようがない
今、自分が沖縄でシーサーを作っている事が不思議で不思議で仕方なかった
つい最近までは単なる事務職だったのに・・・つい最近までは沖縄にはいなかったのに・・・
毎日が楽しくて楽しくてホームシックもどこかにふっとんでしまった
雑用でさえ、楽しくて嬉しくて仕方なかった
陶芸に関わっているんだ・・・夢が叶ったんだ・・・そして、新たな目標が出来た
それは 「 自分の作風を確立する事 」 
まったくの素人のわたしが、一目でわたしが作ったと分かる作品を作れるようになるなんて
夢のまた夢だと思っていた。だからわたしはその為に何をしたらいいのか・・・
ひたすら毎日作りつづけるほか、無意識のうちに毎日仕事が終わったら
国際通りや壺屋通りに行って、いろいろな人の作品を観察し続けた
それが 「 感性を磨く訓練 」になっていたとはこの時はまだ気がついていなかった  


Posted by みかんちゃん at 13:14陶芸

2007年07月29日

お土産屋で

わたしはひたすら毎日毎日お土産屋めぐりをしていた
色々な作品を観察し続ける事が何よりも大切だと思っていたから
そうやって毎日毎日色々な人が作ったシーサーを眺めているうちに
シーサーを見ただけでどの工房の作品なのか分かる事も出来るようになって来た
外国製のシーサーか沖縄製のシーサーかどうかを見分けるようになる事など簡単に出来た
沖縄の人でもどうやって見分けたらいいのか分からないと言う人がいるけれど
それは少しシーサーを作ればすぐに分かるようになる
民芸屋の店員さんにどう思われているのかなんて、全く気にしていなかった
不思議な客だったに違いない。毎日来ては、何も買わずにただひたすら観察して
真剣な目でシーサーを見て帰って行くのだから・・・
この時のわたしはもう、何があっても自分の作風を確立する事・・・これしか考えていなかった
それぐらい真剣だった。自分の外見がどうなろうかおかまいなしだった
沖縄に移住した頃は実家にいた時同様に、普通に外見を気にしていたけど
ぼろぼろの服、ぼさぼさの髪、眼鏡、そしてストレスからの体重の増加・・・
だんだんとわたしは醜い姿になって行ったけど、そんな事はまったくおかまいなしで
なぜか分からないけど、見かけを気にする余裕がなかった・・・
そのぐらい夢中だった。そのぐらい熱中していた
今思えば、あの醜い姿はわたしの自己防衛だったのかもしれない
沖縄には一度は離れないといけなかった・・・離れる必要があった・・・
だから実家にいた時みたいに外見を気にしていてはダメだと無意識のうちに思っていた  


Posted by みかんちゃん at 13:33文化

2007年07月29日

太ってしまった・・・

わたしは何で、沖縄であんなにも太ってしまったのだろう・・・
何キロ体重が増えたかとは言いたくない 考えられないぐらい太った
誰も注意する人がいないし、健康管理に気を配ってくれる人もいない
何故だか分からないけど、太らないといけない気がしていた
太って醜い姿になる必要がある気がしていた 
実家にいた時とは、天と地ほど外見に差があった
でもやっぱり、自分がどんどん太っていくのは嫌でたまらなかった
でも、わたしはこの時期を乗り越えたら絶対に元に戻ると思っていた
何故だかそんな予感があったから、太っていく自分をそれほど気にしていなかった
毎日毎日、太っていく事を注意されていた 
どこまで太っていくの・・・そんなに太ってどうするの・・・って・・・
わたしはその度にストレスを感じて、せめてそういう事を言わないでほしいって思っていた
その 「心配」 がわたしのストレスに拍車をかけてますます太って行った・・・
沖縄とは、繊細な人間にとってはある意味きつい島である、と思う
それは、人をほったらかしにしておく事が出来ないから
わたしは一人静かに過ごしたい・・・一人静かにシーサーを作っていたい・・・
それがわたしの望みだった でも沖縄ではそれは不可能だった
色々な人がわたしにあれこれ私生活の事やら何やら言われると
辛くて辛くて傷ついて傷ついて・・・お願いだからそっとしておいてほしい・・・と思っていた
心配してくれるのはいいのだけど、その心配も度を過ぎると辛くなってくる
だって、心配する = 信じていないって事だから・・・
わたしはわたしを信じてくれる人が一人でもいてほしかった
そしてそのたった一人は、同じ工房にいた・・・
きっとその子は、わたしと同じ傷を負って生きてきた子なんだろう・・・そう思っていた
だからわたしに出来るたった一つの事はその子を心配していないふりをする事だった・・・  


Posted by みかんちゃん at 16:30追憶

2007年07月29日

初めてシーサーが売れた日

その時、わたしは那覇の物産展で店番をしていた
わたしの作品はぜんぶで4つぐらい店頭に並んでいた
売り物になるものを作れるなんて、5年も6年も修行してからでないと
無理だと思っていたけれど、その日は、陶芸の工房に入って2ヶ月目の事だった
わたしはずっと店番をしながらそわそわしていた 
誰かわたしのシーサー買ってくれないかな・・・買ってくれたらどれだけ嬉しいだろう・・・
少しでもわたしの作品に足を止めた人がいたら、つかさず行って
そのシーサー、わたしが作ったんです・・・って言って宣伝した
このシーサー見てたらこっちまで笑いたくなる・・・ってひと言 言ってくれた人がいた
わたしは飛び上がるぐらい嬉しくて、その言葉を言ってくれただけで充分だった
そのシーサーはわたしの自信作であった ほんとに、にこにこしていた
きっとそれを作った時、わたしは創造する喜びに満ちあふれて作っていたのだろう
その気持ちがシーサーにも反映されていたと思う
わたしが作った事を話すと 「買うよ」と言ってくれて、裏にサインを求められてびっくりした
わたしの大切な大切な宝物の想い出・・・売れる喜びを味わう初めての経験だった
いつの間に、わたしはその新鮮な気持ちを失うようになってしまったのだろう・・・
だんだんと、買ってくださる人に対する感謝の気持ちはなくなって行った
でも、感謝ばかりもしていられない厳しい現実がそこにはあった
もし、これが自分の努力と割に合う値段で売る事が出来るのならいいのだけど
とても割に合う値段で売る事など出来ない だってお土産屋の取り分は約半分だったから・・・
作っている人より、売っている人の方がお金を持っている・・・それが現実だった  


Posted by みかんちゃん at 17:01追憶

2007年07月29日

作風の確立までに・・・

陶芸の工房の人達は皆、いい人ばかりだった
みんな本当にわたしの事を愛情を持って接してくれていたと想う
みんな、少ない給料で一人見知らぬ土地で生活していかないといけない為か
独立心と気が強い人が集まっていたように思う
確かに多少のいざこざもあったかもしれない・・・でも人をけ落としたり
そんな悪いことを考える人はいなくて、師匠は大らかで優しい人だったので
残業時間には自由にのびのびとオリジナル作品を作らせてもらう事が出来た
この事は、わたしにとって大きな大きな財産になった
仮にもし、この工房の定番商品以外作ったらいけないという規則があったとしよう
そしたらわたしは果たして、自分の作風を確立するという目標を達成する事が出来ただろうか
出来なかったに違いない。他の工房の人の作品を見たら、師匠とそっくりなものを作っている
この工房は代々伝わる工房で、わたしは勤務時間中には伝統的なシーサーを作って
いたけれど、残業時間には一生懸命、オリジナル作品の製作に取り組んだ
自分の作風を完成させる事が出来るなんて・・・一目でわたしが作ったと分かる作品を
作る事の出来る陽が来るなんて・・・そんなの夢のまた夢だと思っていた
ずっとずっと修行してやっと完成させられるものだと思っていた
だって、わたしは芸術には全くの素人だったから・・・
わたしは芸術とは無縁の街、商売の街で育ったから・・・
絵さえも描く事すら出来ない、そんなわたしが一体なぜ、自分の作風を完成させる事ができようか
それでもどうしても、自分の作風を完成させる事が目標だった
その為に、毎日毎日、徹底的に観察して観察して・・・色々な人の作品のいい所を見て・・・
そんな 「 感性を磨く訓練 」 をしていた
技術を得るのは意外とそう難しくない、でも、感性を磨くのは難しい事のように思う
わたしより技術を持っている人は山のようにいる
でも、あの当時のわたしは、誰よりも 感性を磨く訓練、努力をしていたと・・・
そう自信を持って言える そのぐらい、夢中だったから・・・  


Posted by みかんちゃん at 18:29陶芸

2007年07月29日

ビーチパーティ

わたしの誕生日に、工房でビーチパーティがあった
わたしの誕生日は毎年晴れ。雨が降った事など一度もない
誕生日が晴れているなんて当たり前だと想っていたけれど
よく考えたら梅雨に生まれた人だっている
わたしの生まれた時間はお昼の12時12分
太陽が燦々とそそぐ陽の一番暑い夏の一番暑い時間・・・
生まれた瞬間にわたしはセミの声を聴いて、セミの声を聴きながら育った
だから、わたしは今でもセミの声が大好きなんだと想う
沖縄の、エメラルドグリーンの海に囲まれて、記念日を迎えた
沖縄で迎えた初めての記念日だった。まるで、太陽がわたしの誕生日を祝福しているみたい・・・
こんないい陽に生まれてよかったな・・・そう想った
ビーチパーティでは、バーベキューをして食べた
わたしは楽しくて楽しくて・・・こんな幸せがずっとずっと続くと信じて疑ってなかった・・・
でも、そんな幸せは長くは続かなかった
幸せってそんなものだと想う。幸せも不幸も長続きしない
幸せは失ってから気付くと言うけれど、不幸も失ってから気付く・・・  


Posted by みかんちゃん at 18:55追憶

2007年07月29日

玉城村

わたしは疲れた時があると、いつも海に行って心を癒していた
普段は近場の海に行っていたけれど、時間の余裕のある時は
玉城村まで行って、浜辺の茶屋や山の茶屋でお茶を飲みながら
やどかり達が遊んでいる様子を観察していた
ぼんやりと行く先の不安を抱えながら・・・
玉城村は、わたしが沖縄の中で一番好きな場所
玉城には、マイナスイオンがたくさん流れている気がする
なぜ、あんなに落ちつくんだろう・・・なぜ、あんなに安らぐんだろう・・・
小さいやどかり、大きなやどかり・・・たくさんいる。いっぱいいる
やどかりって、神さまからの使いじゃないのかな
だって、不思議で仕方ないから。一体どうやって自分の体にぴったりと合う
貝殻を見つける事が出来るのだろうか・・・不思議で不思議でかわいくて愛しくて・・・
そんな想いが、今のわたしの原点につながっている・・・  


Posted by みかんちゃん at 19:10名所