2007年07月29日
国際通り
次に向かったのは国際通りだった 1996年に沖縄旅行に行った時の
国際通りの印象とは全く違った 1996年の国際通りは、2000年の国際通りより
もっとずっとずっと活気があった あちこちに呼び込みをして何とか物を買わせようとする
その時は正直、沖縄の人って何でこんなにお金を得る努力に必死なんだろう・・・
ちょっと店の前を歩いただけで何とかして買わせようとする・・・
それはそれでとてもいい事だけど
ゆっくりと見学したいわたしにはちょっとわずらわしいと感じた
でも、もう物珍しさでいっぱいだった。パイナップルのお菓子、星の砂、ちんすこう・・・
何もかもが新鮮で斬新で目新しく、わたしはそれだけで満足だった
その時点では、まだシーサーにそれほど惹かれていなかった
ただ単に、珍しいお菓子を中心に物色して買いあさった
2000年の国際通りは違った
呼び込みをする人は相変わらずいるけれど
必死で無理矢理ものを買わせようとする人がいなかった
わたしはゆっくりとシーサーや陶器、うーじ染め、紅型・・・そういった沖縄文化を感じる事の出来る
民芸品を鑑賞してゆっくりと買い物を楽しめる事が出来た
お土産屋の中で一番うれしかったのは絵葉書
特に竹富島の絵葉書なんて、竹富島や八重山に行かないと手に入らないと想っていたのに
売っている店が一軒だけあってうれしくてうれしくて
珍しい物好きのわたしにはたまらない場所だった
人が以前に比べて少なくなっている気がする・・・だんだんと活気がなくなっている気がする・・・
でもそれでも、人が少なくなっても 文化 はもっとずっと進歩している気がした
国際通りの印象とは全く違った 1996年の国際通りは、2000年の国際通りより
もっとずっとずっと活気があった あちこちに呼び込みをして何とか物を買わせようとする
その時は正直、沖縄の人って何でこんなにお金を得る努力に必死なんだろう・・・
ちょっと店の前を歩いただけで何とかして買わせようとする・・・
それはそれでとてもいい事だけど
ゆっくりと見学したいわたしにはちょっとわずらわしいと感じた
でも、もう物珍しさでいっぱいだった。パイナップルのお菓子、星の砂、ちんすこう・・・
何もかもが新鮮で斬新で目新しく、わたしはそれだけで満足だった
その時点では、まだシーサーにそれほど惹かれていなかった
ただ単に、珍しいお菓子を中心に物色して買いあさった
2000年の国際通りは違った
呼び込みをする人は相変わらずいるけれど
必死で無理矢理ものを買わせようとする人がいなかった
わたしはゆっくりとシーサーや陶器、うーじ染め、紅型・・・そういった沖縄文化を感じる事の出来る
民芸品を鑑賞してゆっくりと買い物を楽しめる事が出来た
お土産屋の中で一番うれしかったのは絵葉書
特に竹富島の絵葉書なんて、竹富島や八重山に行かないと手に入らないと想っていたのに
売っている店が一軒だけあってうれしくてうれしくて
珍しい物好きのわたしにはたまらない場所だった
人が以前に比べて少なくなっている気がする・・・だんだんと活気がなくなっている気がする・・・
でもそれでも、人が少なくなっても 文化 はもっとずっと進歩している気がした
Posted by 川島陽子 ・ ひだまりみかん at 09:10
│名所